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薬剤師×災害医療の最前線 過去から学び、未来に備えるために PART2

座談会

更新日:2019.10.31

PART2
災害医療経験をもとに
現在取り組んでいること
佐藤 貴紀 先生
西澤 健司 先生
1999年東邦大学大学院修了(薬学博士)。日本医科大学付属病院薬剤部等を経て東邦大学医療センター大森病院薬剤部長。日本災害医療薬剤師学会会長。
PART2
災害医療経験をもとに
現在取り組んでいること

西澤阪神・淡路大震災(1995年)を契機として、国や医師会の災害支援に対する取り組みに本格的なスイッチが入ったように思います。2005年にはDMATが発足しています。一方、薬剤師全体として災害支援に関するスイッチが入ったのは、東日本大震災からではないでしょうか。確かに、防災・医療マニュアル等は阪神・淡路大震災以降にできていましたが、十分周知されているとは言いがたい状況でした。東日本大震災では、延べ人数にすると被災地、外部支援を含め全国1万人近い薬剤師が活動しました。そして、医療チームに薬剤師がいることの意義が、医師や行政などに理解されるようになってきました。東日本大震災以後も、熊本地震(2016年)等や、地震以外に水害も度々起こっています。
 そこで今度は、東日本大震災およびそれ以後の災害支援経験等をもとに現在、どんなことに取り組んでおられるのか、また問題点などもあればお聞かせください。

医薬品の備蓄、災害医療の知識・技能のブラッシュアップに取り組む

佐藤東日本大震災時に薬剤の確保に苦労したことから、震災時の処方実績を基に備蓄薬のリストを作成しましたが、実際にはまだ備蓄できておらず、今後の課題となっています。備蓄がなくても、民医連や卸などの支援によって何とか乗り切れたという経験もあり、備蓄を必要とする風土がなかなか醸成されない部分もあるように感じています。今後は、災害対策委員会などとも話していく必要があると考えています。
 また、災害医療では薬剤師として代替薬の提案等、平時に用いている知識ももちろん必要になります。しかし、非常時における薬の流通を理解すること、災害時に必要な知識を習得することなどは、普段の業務ではなかなか学ぶことのできない分野であるため、研修会等で知識を習得またはブラッシュアップしていく必要があると思います。私個人としては、日本災害医学会主催のPhDLS (災害薬事研修コース)日本災害医療薬剤師学会主催の災害医療支援薬剤師研修コースに指導者・受講者の立場で参加し、自身の技能維持に努めています。

西澤災害支援としての医薬品供給についてですが、被災地からの要請を待たずに必要と思われる物資を提供するプッシュ型支援では使われずに破棄される医薬品が多く出てしまいます。そのため、今後はやはり被災地からの要請に応じて必要な物資を提供するプル型支援になっていくのでしょうね。

佐藤当院では電子カルテシステムが早期に再稼動していました。このため、トリアージエリアでは手書きの処方箋にも対応して、病院の採用品目ではない支援医薬品を使用することもできたのですが、入院患者さんでは電子カルテ内に登録された薬剤しか使用できず、柔軟な対応ができませんでした。そういう意味では、プル型支援のほうが良いと思います。

日頃から防災訓練等を行って備える

モバイルーファーマシー・車内の調剤スペース

西澤土佐先生はいかがですか?

土佐東日本大震災では東北地方の被害が大きく、宮城県も相当な被害を受けました。このため宮城県では地域防災計画やBCPの充実に力を注いでおり、他県からも注目されています。東日本大震災では福島第一原発での事故も問題となりましたが、宮城県には女川原発がありますので、原子力災害対策も周知徹底しておく必要があります。
 薬の備蓄に関しては、災害時でも卸の薬の供給は3日程度で回復すると聞いております。3日分程度なら、どこの病院や薬局でも在庫はあると思いますし、薬の期限切れの問題もありますので、それ以上を無理に備蓄しておかなくても大丈夫ではないでしょうか。災害には医薬品や防災食の備蓄も有用ですが、日頃から防災訓練を継続的に行って備えておかないと、いざというときに役に立たないのではないかと思います。宮城県では行政主体の防災訓練もありますし、石巻日赤でも毎年防災訓練を実施しています。そういう訓練に宮城県薬剤師会や石巻薬剤師会として参加しています。その際には車内で調剤ができるモバイルファーマシーを用いて、模擬患者を相手に調剤する訓練などを行っています。
 また東松島市では、認知症初期集中支援事業を行っており、私は認知症初期集中支援チームに薬剤師として参画し、保健師、栄養士などの方々と一緒に、地域の認知症の人やその家族に対する支援を行っています。高齢者のサロン等に出前講座に行く際には、学習や連携の機会として、できるだけ若手の薬剤師も連れて行くようにしています。そうした場で継続的に、平時および災害時におけるかかりつけ薬剤師の意義やお薬手帳の重要性について伝えています。

増田宮城県では東日本大震災当時、安定ヨウ素剤の事前配布はしていたのですか?

土佐いくつもの市町が女川原発の30キロ圏内にあるため、事前に配布をしていました。配布は宮城県と宮城県薬、石巻市と石巻薬剤師会が防災協定を結んで実施しています。

災害医療を他人事にしてしまってはならない

西澤次に、尾形先生はいかがでしょうか?

尾形東日本大震災を契機に、災害時に活動できる薬剤師を目指して日本DMAT隊員に登録しました。2016年の熊本地震では、 DMATとして医療活動を行いました。2018年7月の西日本豪雨では、倉敷市真備町でNPOとして復興支援活動を行いました。また外部支援だけでなく、自分の所属する病院の災害対策マニュアルの改定、備蓄医薬品の見直し、BCPの策定にも携わりました。災害に対する取り組みは、職場の方にも理解や協力を得られており、熱心に取り組める環境にあったと思います。
 ただ一方で、薬剤部の災害担当は私という空気ができてしまい、他の人を活動に巻き込めていたかどうかはいささか疑問に感じています。やはり、災害医療とは被災地に支援に行くチームや、特別な資格のある人たちのものという誤った認識があるように思われます。自分は被災しないという「正常性バイアス」が、災害医療を他人事にしてしまっているような気がしてなりません。自分の地域が被災する可能性がいつでもあることをわかっていただきたいと思います。
 まずは自分の地域が被災したときを考え、「地域防災計画」を確認してほしいです。災害時の医療救護体制や医薬品の供給など、薬剤師の役割が明記されています。また、災害医療関連の研修会に参加して知識や情報を得て、参加者同士「顔が見える関係」を構築しておいていただきたいと思います。
 一方、薬剤師でDMATやJMATでの活動経験があるような、地域で中心になって動くような方々には、災害医療は専門的な人だけのものではないことを啓蒙していく活動が1つの大きい役割としてあると思います。

西澤おっしゃるとおりです。ただ、薬剤師が積極的に災害支援に赴くには、日ごろ所属する病院や薬局などのバックアップ、すなわち後方で支援してくれる方々の存在が不可欠であるということも、見逃してはならない重要なポイントかと思います。その上で、医療者すべてが、いざというときには自分も災害医療に関わるのだという認識を深め、学習、研修を継続していくことが大切でしょうね。

支援をコントロールする「受援側の準備」も重要

災害医療対応の原則であるOSCA

尾形それと、現在災害医療に関する各種研修会の指導や運営を行っていますが、今年7月初頭に沖縄で災害薬事研修を開催した際に感じたことがあります。受講者の方から、「勉強になったが、研修内容が支援者に偏っている」、「自分は支援チームに入っていないが、知識を生かす機会はあるのか」といった意見が聞かれたのです。
 研修内容が「支援」に偏ってしまうと、支援に行く機会がない人は「自分には関係ない」と結論づけてしまうように思われます。東日本大震災後は、支援をコントロールする「受援側の準備」も非常に重要だと認識されてきていますので、受講者の方々の声を聞き、「受援」も研修会に取り入れていくこと、研修会の内容をアップデートしていくことが大事だと感じました。

西澤研修会は支援者の立場に立ったものが非常に多いのですが、「受援」も「支援」と同様、非常に大切なことですね。実際の被災地内において、確かに支援者には災害医療対応の原則であるCSCAなどの知識や経験は必要ですが、専門的な教育を受けた者のみが関与すべきものという思い込みは問題です。一方、被災地内で受援者が置かれる立場というものについても、しっかり伝えていかねばなりません。被災地内で受援者の立場となった医療従事者は、身内の死傷、自宅の被災など様々な不安の中で業務に当たらざるを得ないということを、知っておく必要があります。さらに受援者側にとっては、外部から入ってくる支援者をどのようにうまく受け入れていくかということも課題となります。

今度は茨城県自らが水害の被災地に

西澤それでは次に増田先生、お願いいたします。

増田2015年9月の関東・東北豪雨で、茨城県も自ら水害を経験することになりました。東京の半分くらいにあたる大きさの広範囲の地域が水没しました。茨城県には四師会による災害等連携協定ワーキンググループがあり、その会議等で普段から「顔の見える関係」ができておりました。発災後すぐに招集がかかり、茨城県厚生総務課、保健所、医療チームなどによる全体の調整会議の中で災害対策の調整がすべてつきました。
 また、被災地周辺の医療機関は稼動していました。筑波大学を拠点に日赤を含む全国からの災害支援チームが活動しましたが、3日後には医療環境が十分整ったためDMATは撤収しました。それを引き継ぐ形でJMATが入ってきましたが、8日目くらいで医療関係のチームはニーズがなくなったため、すべて撤収となりました。地元の医療体制の自立ができた時点で、外部支援をうまく中止することができたわけです。
 加えて、茨城県の備蓄医薬品は二百数十品目リストアップされていましたが、周辺の医療機関は、十分に機能していたため、実際に外部からの供給が必要だった医薬品は巡回医療チームが持参する応急用の28品目だけでした。総括してみると、受援、支援を含めて、理想的な災害対策ができたように思います。

医療支援研修の充実に取り組んできた

電気自動車は発生時に発電機の代わりになる

西澤研修なども普段から力を入れて行っておられるのでしょうね。

増田茨城県薬剤師会では、比較的早くから災害支援対策に取り組んできました。災害発生時の医療支援研修は、日本災害医学会のPhDLSが中心でした。標準コースの1日では物足りなさも感じていたので、2016年からは、災害支援薬剤師養成研修会を1回につき丸2日かけて実施し、これを修了することで支援活動を認めることになりました。その後、数年ごとに現認研修を受けてもらうという体制で運営しています。災害全般の基本的事項から、災害処方箋が来たときの取り扱いといった法的特例措置に関すること、さらには心のケアの問題や停電時における機器使用の工夫まで、細かいことも含めた研修を実施しています。
 例えば電気に関しては、まず電灯とコンピューターを使えるようにすることが大事だと思います。発災の季節によっても違うと思いますが、350W程度の小さい発電機が1台あるだけでも、工夫次第で色々対応できるものです。電気自動車なら1,500Wくらいの電力がありますので、より有用だと思います。当薬局では建て替えた際に、非常用電源の回路を全部1箇所にまとめるようにしました。薬局内で普通電源の脇にある非常用というマークが付いているコンセントに差し込み、室外の発電機を回せば、いつでも電気を取れるようになっています。

西澤ありがとうございました。2018年の北海道胆振東部地震では、北海道全域の停電(ブラックアウト)が大きな問題となりましたが、現地の病院や薬局は本当に大変だったと思います。(Part 3につづく)


用語解説

プッシュ型支援、プル型支援
発災時に被災地の要請を待たずに支援物資等を供給する支援方法をプッシュ型支援という。これに対し、被災地側の要請を受けてから必要物資等を供給する支援方法をプル型支援という。
モバイルファーマシー
薬局機能を搭載した災害時医薬品供給車両で、キャンピングカーを改造したもの。普通免許で運転できる。ポータブル発電機、ディープサイクルバッテリー、ソーラー発電機、水タンクなどを搭載。内装設備には分包機、冷蔵庫、調剤棚、水剤用シンクを備えている。
BCP
業務継続計画(Business Continuity Plan)。発災時に、想定した被災状況であっても医療継続できるよう優先業務を選定し、限られた人的資源および物的資源であってもその業務を実行できる準備を目的としてあらかじめ作成するプラン。
DMAT
災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team)。発災直後(概ね48時間以内)に活動を開始できる機動性を持った専門的な研修・訓練を受けた医療チーム。医師、看護師、業務調整員(ロジスティックス)からなる。薬剤師、放射線技師、臨床検査師などは業務調整員として参加する。日本DMAT隊員になるには、DMAT指定医療機関に勤務し、DMAT隊員養成研修を受講して試験に合格するなどの条件がある。
JMAT
日本医師会災害医療チーム(Japan Medical Association Team)。被災地の都道府県医師会の要請に基づく日本医師会からの依頼により、全国の都道府県医師会が編成する医療チーム。災害急性期以降の避難所・救護所等での医療活動を主として行う。医師、看護職員、事務職員(ロジスティックス)に加え、歯科医師、薬剤師などからなる。

(用語解説参考文献)

名倉弘哲、山内英雄(編)、はじめるとりくむ災害薬学.南山堂、東京、2019年

次回予告
最終回となるPart 3では、災害医療×薬剤師の未来に向けての課題をテーマに先生方にお話しいただきます。

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