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水害で求められる薬剤師の役割と意義 〜震災との違いと水害特有のニーズ〜

インタビュー

更新日:2020.02.28

近年、台風の巨大化や豪雨の激甚化などに伴い日本各地で大規模水害が相次いでいます。そのため、水害に対する防災意識も高まりをみせています。また、相次ぐ災害を契機として、災害医療における薬剤師の役割と意義が広く認知されるようになってきました。今回は、日本災害医療薬剤師学会の理事であり、茨城県薬剤師会委員の鈴木康生先生に、関東・東北豪雨による常総水害での医療支援活動を中心に、水害時における薬剤師の役割や対策などについてお話しいただきました。

水害被害は準備しておけば、ある程度は防げる

関東・東北豪雨による常総水害とは、どのような災害だったのでしょうか?

鈴木2015年9月10日、豪雨により茨城県常総市三坂町で鬼怒川の左岸側が決壊したことにより、その地域と下流域に甚大な浸水被害をもたらした災害です。これは豪雨災害に特有だと思いますが、決壊しなかった下流域でも時間差で水位が上昇し、やがて水没してしまったことです。基本的に自治体のハザードマップの氾濫想定区域とほぼ同様の地域が浸水被害を受けました。
 この水害では多くの医療機関も被害を受けました。左岸側では水没により停電も発生しており、ほとんどの医療機関が機能不全に陥りました。旧水海道地区の基幹病院であるきぬ医師会病院も機能しなくなりました。9月10日に鬼怒川が決壊した後、ある程度水が引いた9月13日の時点までは、きぬ医師会病院には近づけない状態でした。
 水害に関して思うのは、片岸側が水没被害を受けていても、反対側ではあまり被害がないことも多いということです。一方は床上浸水のため生活ができなくなっているのに、他方は何事もなかったかのように普通に生活を継続できるということで、この落差は何なのかと疑問や当惑を覚えることも一再ではありません。

鬼怒川左岸側(向かって右側)は浸水被害が大きく右岸側(向かって左側)は被害が小さかった。
鬼怒川左岸側(向かって右側)は浸水被害が大きく右岸側(向かって左側)は被害が小さかった。
水害に見舞われた常総市内の様子。2015年9月11日撮影。
水害に見舞われた常総市内の様子。2015年9月11日撮影。

鈴木先生は2011年の東日本大震災の際にも医療支援に赴かれていますが、震災と水害の違いについてはどのようにお考えでしょうか?

鈴木震災は突然被災するのに対し、水害は天候等からいくらかは予期できるため、準備をしておくことで被害をある程度は抑えることができる災害だと思います。逃れられない被害もありますが、身体面の怪我や病気などに関しては防げることが多いと思います。令和元年台風第19号(2019年10月12日に日本上陸)による水害のときも、利根川の水位は10月12日の夜が明けてからも増していたのですが、雨が上がったらもう大丈夫だと思って、避難所から帰ってしまう方が多かったということを耳にしました。

公衆衛生の確保:市民全世帯へ消毒薬を配布

アイアールファーマシー株式会社 災害対策支援室 室長|茨城県薬剤師会委員|鈴木 康生 先生

常総水害の際には、具体的にどのような医療支援活動をされたのですか?

鈴木9月10日に鬼怒川が決壊しましたが、当時、私が勤めていた薬局(ひかり薬局篠山店、現在は閉局;以下、当薬局)は常総市篠山、つまり鬼怒川の右岸側にあり、浸水を免れました。そのため翌9月11日は通常どおり薬局勤務をしておりましたが、避難所の近隣にあった薬局のため、茨城県薬剤師会(以下、県薬)から避難所調査の依頼があり、避難所の状況調査を行いつつ、避難所にいる患者さんから必要な薬についての聞き取りを実施しました。非常時ということで聞き取りはすべて私のほうで行い、当薬局の門前にある診療所の医師に説明して処方箋を書いてもらい、調剤した薬を届けるという活動をしました。9月12日はJMAT(日本医師会災害医療チーム)に加わり、避難所を回る巡回診療において対応業務に携わりました。9月13日はJMATの活動拠点本部で仕事をし、9月14日からは主に当薬局でJMATや日本赤十字社救護班(以下、日赤救護班)が発行した災害処方箋を受け付けて調剤を行い、患者さんに薬を渡すという活動を行っていました。

やはり処方箋の枚数は、普段よりかなり多かったのでしょうか?

鈴木保険処方箋はそれほど多くありませんでしたが、災害処方箋の枚数はやはり多かったです。また、当薬局は整形外科の診療所の門前だったのですが、普段取り扱っていない内科の処方に対応する必要がありました。普段なら他の薬局から小分けで譲ってもらうところ、多くの薬局が被災している状況ではそれも叶わず、グループ内の薬局や卸を通して入手し、患者さんに渡していました。卸は発災後の対応が早く、連絡が取れない薬局の情報なども卸を通じて入りました。

水害のときと震災のときで、処方薬の内容に違いはありましたでしょうか?

鈴木水害にせよ震災にせよ、災害時に救護所等で処方される薬は、基本的に普段服用されている慢性疾患の薬がほとんどです。東日本大震災は寒い時期の発災で、避難所も寒かったため、風邪薬の処方が多かったような気はします。一方、常総水害では、水が引くと自宅の片付けで転倒し怪我をする被災者がいました。また水害特有だと思うのは、乾いてくるとホコリが舞うため、眼科領域の目薬などの処方が多かったという印象です。

水害時特有の薬剤師の役割というものが、何かありますでしょうか?

鈴木水害時特有の役割としては、公衆衛生の確保があります。常総水害でも、令和元年台風第19号による水害でも、住民に対して家屋の消毒に関する支援を行いました。汚れた物をどうしたら良いかなどのアドバイスが中心です。常総水害のときは、市民全世帯への消毒薬の配布が常総市から県薬に委託されたため、薬剤師が各地域を回り、住民に対する消毒薬の配布と使い方の説明をしました。配布した消毒薬は塩化ベンザルコニウムです。水2 Lにキャップ1~2杯分を入れて、拭き掃除などに使用します。

災害処方箋と災害「時」の処方箋

常総水害の後、令和元年台風第19号による水害でも医療支援に携わられたわけですが、両者の相違点があればお聞かせ下さい。

鈴木台風第19号により、茨城県では久慈郡大子町、常陸大宮市、常陸太田市などで久慈川や那珂川とその支流が氾濫し、広範囲にわたる浸水被害が生じました。大子町の医療機関はほぼ全滅状態でした。被災の状況自体は、常総水害のときと類似していると感じました。この水害では、お薬手帳をもとに調剤することが多かったです。
 両者が大きく異なるのは、いずれも災害救助法が適用されましたが、台風第19号の際には薬剤に関しては災害処方箋ではなく、通常の保険処方箋による調剤として扱われた点です。災害処方箋と災害「時」の処方箋では、全く意味が異なります。災害処方箋は、災害救助法に基づき救護所等でJMATや日赤救護班などにより発行される処方箋で、救護所内での調剤のほか、保険薬局に持ち込まれることもあります。費用は全額、処方場所の自治体に請求されます。一方、災害「時」の処方箋というのは、災害時に保険医療機関から発行される保険処方箋のことで、費用は通常の診療報酬制度に基づく扱いとなります。災害時ですので、保険証の情報がないなどの記載不備があっても調剤は受け付けてもらえますし、患者さんは負担金の減免を受けられる場合があります(東日本大震災で発出された通知・事務連絡を参照)。

常総市の水害時に実際に発行された災害処方箋。上部に「〇災(マルサイ)」の文字が書いてあり、備考欄に避難所名・救護所名が記載されている(一部抜粋)常総市の水害時に実際に発行された災害処方箋。上部に「〇災(マルサイ)」の文字が書いてあり、備考欄に避難所名・救護所名が記載されている(一部抜粋)

大子町の医療機関で発行された医師の指示を記した文書等(災害「時」の処方箋)大子町の医療機関で発行された医師の指示を記した文書等(災害「時」の処方箋)

 災害時に保険処方箋による調剤を採用することで自治体の負担は減りますが、一方で薬局を含む医療機関では結果的に負担が増えてしまうという問題があります。ただ、災害処方箋なら本当に医療機関の負担がないのかというと、常総水害のときに災害処方箋を受け付けた薬局としては、負担がなかったわけでもありませんので、そこは難しいところです。もう1つの問題は、JMATや日赤救護班は保険処方箋を発行できないということです。そうなりますと災害医療チームは、自分たちが持ってきた薬でしか被災者を治療することができません。医薬分業ができないと、選択肢の少ない治療しかできなくなってしまいます。その結果、被災者に地元の医療機関で処方箋を発行してもらってくださいと伝えざるを得ない事態が生じてしまいます。
 制度の問題や課題は多くあると思いますが、個人的な意見として申し上げるなら、例えば災害救助法が発令されたときのみ、JMATによる仮設診療所や薬剤師会による仮設の会営薬局、モバイルファーマシーを用いた仮設薬局を設営することが特例で認可されれば、そこで保険処方箋の発行・応需ができるようになり、被災した医療機関が片付けや掃除をしながら診察や調剤をしなければならないという状況は回避できると思います。被災した医療機関には復興に向けての準備が必要です。無理をすることは、その後の復興にも影響が出てしまう気がします。

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