日本災害医療薬剤師学会では、コロナ禍における薬事対応の経験をより多くの災害医療・災害薬事に携わる医療従事者に共有することで今後の災害支援活動に活かすことを目的に、2022年7月に日本災害医療薬剤師学会シンポジウムを開催した。同シンポジウムより、「地域の災害時公衆衛生を担う薬剤師としてのかかわり」の演題を紹介する。
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日本災害医療薬剤師学会 理事
日本赤十字北海道看護大学 災害対策教育センター
根本 昌宏 先生
新型コロナウイルス感染症により変化した環境整備と感染症対策
新型コロナウイルス感染症の流行が拡大して以来、わが国では、熊本県球磨川周辺地域で被害をもたらした令和2年7月豪雨(2020年発災)や熱海市伊豆山土石流災害(2021年発災)以外の大規模災害はほとんど発生していない。内閣府は、2020年に感染症対応時の避難所レイアウト例を公表したが、発熱者や要配慮者の専用スペースを設けるゾーニングが行われている点は、感染症流行前との大きな違いである。しかし、本シンポジウムの開催時点では新型コロナウイルス感染症による自宅療養者は国民の約1%にのぼり、災害時にこうした自宅療養者を含めて陽性者を避難所で受け入れることは困難となる可能性もある。そのため、ゾーニングを含めた避難環境の整備や環境保全など、薬剤師が専門的視点から行えることは多いと考える。
感染症蔓延下における避難環境で重要なポイントは三密の回避、衛生の保持、そして行政における防災部局と保健部局の連携である。感染症の知識に乏しい防災部局だけでは適切な感染症対策を行うのが難しく、保健部局との連携も重要となる。三密回避や衛生保持については、環境指標の測定や衛生物資の提供など、薬剤師が公衆衛生を担うことで避難環境の向上が期待される。
避難所のトイレ問題
避難生活の要素において重要となるトイレ・キッチン・ベッドのうち、まずトイレを大きな問題として示す。トイレ不足や利用しづらいトイレは体調にも影響し、さまざまな災害関連疾患にも結びつきやすいことから(表1)、避難者数に対するトイレの数だけで議論せず、女性、高齢者や小児などにとっての利用のしやすさ、トイレまでの動線や段差、明るさ、男女の区別や視線の遮蔽にも配慮する必要がある。そうした要配慮者対策や環境整備、手洗い、消毒などの衛生面で薬剤師ができることは少なくない。ひとつの例として、道内の中学校で「一日防災学校」を実施し、携帯トイレの使用法を教えているが、学校薬剤師を中心に、こうした防災教育に携わることも薬剤師の職能であると考えられる。
健康維持を踏まえた炊き出しの有用性とその管理
ふたつ目の重要項目であるキッチン、すなわち食事面において、災害食を衛生的に提供する必要があることから、わが国ではおにぎりや菓子パン、カップ麺に偏りがちな傾向がある。しかし、炭水化物中心の食事が続くと体調不良を起こしやすく、衛生と栄養面に配慮した炊き出しの実施が望まれる。特に感染症蔓延下における食事の提供では注意すべき点が多くあり、環境衛生や感染症に対する知識を持った薬剤師などの専門職が管理に携わることも求められる。
災害関連疾患予防の観点からは、食物繊維を多く含み、塩分を軽減した温かい災害食を提供することが望ましく(表2)、炊き出しにより嚥下食や離乳食にも対応可能である。薬剤師が災害時の知識として、衛生管理や栄養について学ぶことは、被災者の健康を維持させることにもつながると考えられる。
衛生的な避難環境整備に重要なベッドの問題
最後の重要項はベッドである。災害時には本来は宿泊施設ではない学校体育館や公民館が避難所となることが多く、大規模災害の場合は避難生活が2ヵ月以上にもおよぶことがある。これまでは床にブルーシートを敷いた避難所がほとんどであり、ほこりの発生や環境指標が未測定であるなど、避難環境の衛生管理が十分になされない問題があった。こうした問題は市町村の防災担当者や学校職員だけでは解決が難しく、環境の専門職としての薬剤師の職能に期待したい。
令和元年東日本台風(2019年発災)時は、3日を超えるブルーシート上での避難生活ののち、災害保健医療調整会議の指導のもとでブルーシートが撤去され、清掃後に段ボールベッドが設営されて、通路の確保や一人あたりの面積拡充など生活環境の整備が行われた。また、避難所の環境指標の「見える化」も行われた。新型コロナウイルス感染症の流行後に発災した令和2年7月豪雨の際には、卓球フェンスを用いて避難者のディスタンス確保が行われていたが、2日後には自衛隊による衛生管理とベッドの設営が行われた。災害対策においては、過去のエビデンスの積み重ねが次回の災害時に活きるが、感染症蔓延下で避難者のディスタンスを保ちながら環境衛生基準を達成した避難環境をつくった事例は、この令和2年7月豪雨しか経験がなく、そうした意味でのエビデンスは現在ではまだ不十分であると言える。
また、災害の季節が冬季である場合には暖房機器も問題となる。二酸化炭素を外に排出できない開放型のストーブを設置すれば、避難所内の二酸化炭素濃度は短時間で社会環境基準を上回る。また、停電時は照明確保のために発電機を機能させるが、発電機の排ガスには一酸化炭素が含まれるため、一酸化炭素中毒が容易に起こり得る可能性も否定できない。こうした危険な気体も含めて環境指標を「見える化」することが重要であり、測定機器などの取り扱いに慣れた薬剤師が環境指標の測定や避難所の衛生管理を行うことで、避難者の健康状態の維持に貢献できると考えられる。
コロナ禍における災害薬事教育と公衆衛生とは
コロナ禍における災害薬事教育、特に公衆衛生を中心に考えた場合、薬剤師が座学や体験などを通じて学ぶ・教わる必要性は高いと言える。ただし、防災に関する見識のアップデートは早く、1年前の知識が通用しないことがあることも念頭におく必要がある。また、薬剤師の専門性を踏まえて、地域住民や学校において防災教育を行い、教える立場での活躍にも期待したい。地域薬剤師会、あるいは三師会などを介した地域の要配慮者への支援や学校関係者との連携により、地域の事情や特徴に応じた安全・安心な地域づくりにも貢献することが期待される。